[:ja]森とエゾシカとオオワシ[:]

[:ja]イランカラプテ!キミです!

今回は僕がしているアルバイトの話に絡めて森、エゾシカ、オオワシ、オオカミ、ハンティングの事などを書いていきます。

不思議な仕事

僕は4月のゲストハウス開業に向けて準備を進めていますが、それだけでは何の収入もないのでアルバイトをしています。そのうちの一つにエゾシカの餌やりという不思議な仕事があります。営林署からの仕事で毎週一回山に行き、家畜用の飼料4種類を置いてシカが食べているか確認する仕事です。餌場にはカメラが仕掛けてあってシカが来ると撮影できるようになっています。

オオワシの撮影

この時期山に行くとオオワシやオジロワシを高い頻度で目撃します。トビは市街地でも年中見る事ができる平取町ですが、オオワシやオジロワシは冬の間しか見ないので、その珍しさや大きさに少し興奮します。シカの餌やりに5週ほど行っていて、ほぼ毎回見ていたので今回も撮影できるかと思いカメラを持っていきましたが、残念ながら今回は見る事ができませんでした。※写真はフリー素材です。

エゾシカと被害

なぜエゾシカに餌をやるかというと、エゾシカが樹木を食べるからだろうと思います。(僕はただ使われているだけなので理由までは知りません。)近年エゾシカが農作物や樹木を食べる被害が多く、道内の市町村などが頭を悩ませているとのニュースもありました。餌でおびき寄せる事ができれば、その場で駆除したり、その餌を食べてもらう事で樹木などの被害を減らそうと考えているのだと思います。

エゾシカが増えた理由

エゾシカはずっとずっと昔から北海道の山に居ました。アライグマなどの外来種ではないわけです。それにもかかわらずエゾシカの被害が取り上げられるのは生息数が増えているからでしょう。生息数が増えた大きな要因は

・明治にエゾオオカミを人間が絶滅させたこと

・ハンターが減っていること

の2点だと思います。短期的に見ればハンターの減少(高齢化)もエゾシカ増加の理由でしょうが、根本的にはオオカミを絶滅させてしまった事だと考えています。

なぜオオカミを絶滅させたのか

北海道に開拓民が来て家畜の馬を飼うようになると、それがオオカミに食われる被害が頻発しました。そこで彼ら(開拓使)はオオカミを殺すことを考えました。結果的にオオカミは絶滅させられたのですが、当時は考えもしなかったであろうエゾシカの被害に今は苦しんでいるわけです。

この世の中はどんな事でも、すごく微妙なバランスの上に成り立っていると思っています。何か問題が起きたときにその問題を解決しようとして局所的な解決を試みても、その影響で次には別の問題が発生するわけです。

自然の形を大切に

アイヌには、自然にある物にみだりに手を加えないという考えがあります。木を切るにも必要な分だけ、川を歩いて石がずれたら元に戻すなど、手を加えすぎないことがバランスを崩さずに、人間とその環境が付き合う方法だと経験として知っていたのだと思います。

ハンターとして

僕は23歳になる直前から2年間(2011年5月~2013年5月)猟銃を持っていました。当時は神奈川県に住んでいたので冬になると鉄砲を持って実家に帰省して平取の山でシカ撃ちをしていました。大叔父(祖父の弟)が長い間ハンターをしていたのですが、僕が21才になる頃に鉄砲を辞めました。小さいころから当たり前にシカ肉料理を食べていたので、シカが手に入らなくなるのが困ると思ったのと、自分が食べるものを自分で手に入れたいという漠然とした欲求からでした。僕のハンターとしての師匠はその大叔父でシカの解体方法を教えてもらったり、山の案内をしてもらいました。

ハンターと行政

僕が鉄砲を辞めたのは、2014年頃には海外に行く(住民票を日本から抜く)ことがわかっていたからと、許可更新の為の実技講習の日程がどうしても合わなかったためでした。

日本では銃砲の所持許可は警察が管轄していて、非常に面倒な手続きが多く、警察としては許可を出したくない雰囲気を感じます。一方、農林水産省などはハンターを増やそうと言っています。同じ国の事なのに立場によって言っている事があべこべになっていると感じてしまいます。

北海道のハンティングとアイヌの考え

北海道では鉛弾の使用が禁止されています。これは冒頭に紹介したオオワシやオジロワシ等の猛禽類やキツネなどの動物が鉛を飲み込み死ぬことを防ぐ為で、良いことだと思います。(北海道以外では禁止されていません。)日本の法律では狩猟で得た獲物はすべて持ち帰るか、野生動物が掘り返せないほど深い穴を掘って埋めるようにルールが決められています。しかし冬の北海道でそんな穴を掘るのは重機でも持ってこないと無理な話です。

アイヌの考えでは人間が獲った獲物はすべて持ち帰るのではなく、鮭であれば10本とれば3本は置いていく、シカを獲ったら足一本置いていくというように昔話などで教えられています。それは獲物というのは神様が人間を含めあらゆる動物が食べる為におろした物だから、人間だけが独り占めしてはいけないという教えからです。

アイヌはこれらの考えに基づき、そして実践し、環境と人間の微妙なバランスをずっと保ってきたと僕は思っています。

どちらの考えが正しいかは歴史が証明しているのではないでしょうか。[:]

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