[:ja]北海道胆振東部地震の影響について[:]

[:ja]イランカラプテ!キミです!

胆振東部地震

2018年9月6日午前3時8分頃に胆振地方東部を震源とする地震が発生しました。

この災害により亡くなられた方、ご遺族の方には心よりお悔やみ申し上げます。また被災に伴い、家を失った方や、けがをされた方など、つらい状況に置かれている方がたくさんいらっしゃいます。まずはその方々が一日でも早く日常生活を取り戻されることを切に願います。わずかでもその力になれたらと思っております。

僕の住む平取町二風谷地区から震源までは直線距離で15~20km程で、沙流川対岸の山を超えた向こう側で起きた地震でした。

二風谷は震源からの距離の割には被害の程度は小さい地区だと思いました。厚真町、むかわ町の被害は甚大で、土砂崩れや家屋の倒壊。さらに、いまだにライフラインが復旧しないなど大変な状況に置かれている方がたくさんいらっしゃいます。

地震発生からの状況/行動

震度分布(気象庁より) 一部画像加工しています。

9月6日(地震当日)

地震が発生した9月6日はフィンランドに向けて出発する日でした。トルニオという町で漁労フェスティバルというイベントが行われ、アイヌの漁労などについて発表すべく招待されておりました。新千歳空港ー成田ーヘルシンキーケミ(トルニオ)という旅程で、新千歳空港午前7時50分発の便に乗る予定です。

午前3時過ぎに地震が発生しすぐに目が覚め、その後に携帯電話から緊急地震速報が流れました。電気はすぐに止まったように思います。家の中ではテレビが倒れ、棚が動きました。高い場所に置いてあったものなどはすべて床に落ちました。

実家は食器が散乱し本棚が倒れていました。ヤントでは受付の書類が散乱、キッチンでは電子レンジとトースターが落ち、食器が半分ほど割れました。

日が昇りあたりが明るくなってから各建物の状況を確認し、大きな被害がないことがわかりました。

空港の状況は分からず、午前7時前には空港に着くように出発しました。日高道は通行止めで一般道で向かいます。ところどころ道路に段差がある部分もありました。むかわ町内では倒壊した建物や、ゆがんだ建物、折れた電柱などがたくさんありました。

空港は全面封鎖でどうにもならないので7時半頃二風谷に引き返すことにしました。行きは通れたむかわ町の橋が通行止めになっていて、穂別方面に向かう裏道を通り二風谷に戻りました。

二風谷に戻ると祖母の家、資料館の中がひどい事になっていると聞きました。そして固定電話の回線も使えなくなっているとのことでした。

当分停電するなら携帯の充電ができなくては困ると考え、隣の地区にガソリンを入れに行きました。車のエンジンをかければ携帯の充電、テレビ(ワンセグ)から情報を得ることができました。

午前中は使えていた水道が午後には使えなくなりました。水道管は問題ありませんが、二風谷地区の水はポンプアップしているため、タンクが空になり電気が復旧するまでは断水することになりました。

避難所が開設され、夕方に飲み水をもらいに行きました。炊き出しとして、おにぎりとペットボトルの水もいただきました。

携帯はつながったり、圏外になったりでした。いつもより速度はずっと遅かったです。

9月7日(2日目)

携帯電話は朝から圏外でした。電気も水も止まったままです。水をいれる容器も十分にありません。容器を見つけて自衛隊の給水車から水をいただきました。「テレビで見ていた状況に自分が置かれるとは想像もしていなかった」と一緒に並んでいる方が言って、その通りだと思いました。

昼前に携帯が通じる場所(平取本町:10km程)まで行き、親族や仕事の連絡を取りました。当面のヤントの予約は全部キャンセルになりました。

風呂に入りたいけど水も電気もありません。水(飲めない水でも)があればガスコンロで沸かして風呂に入れるという事で、隣の地区の湧き水を汲みに行きました。平取町内でも水道から水が出る場所、出ない場所があるので、湧き水に人が殺到という事はありませんでした。湧き水は1秒に10リットル程出ていてあっという間に水が汲めました。100リットル程度汲みましたが簡単な作業でした。

帰ってきて風呂に入りさっぱりするとやる気も出てきます。清潔でいることはモチベーションに重要な影響を与えます。

夕方5時頃電気が復旧しました。停電時間は38時間程でした。それでも冷蔵庫や冷凍庫の中の食材は相当傷んでいました。

湧き水を使い洗濯機も回しました。一度の洗濯でたくさんの水を使うことを実感しました。汲んできた水の大半は洗濯に消えました。

夜になる前にもう一度電波がある場所に行くことにしました。午前中に通じた平取本町はすでに圏外になり、富川(約20km)まで行き連絡をとりました。

電気があることで夜間でも活動が可能になりました。

9月8日(3日目)

朝から少しだけ水が出ました。固定電話と携帯電話はいまだにつながりません。

午前中に飲み水をもらいに行きました。給水車の周りはガラガラです。多くの家で水が出るようになったみたいです。電気がつくので片付け作業がはかどります。割れた食器を片付け、掃除機をかけることもできました。

夕方5時頃、光回線が復旧しました。これでヤントの電話とインターネットが使えます。あとは携帯回線が復活すればいつもと変わらない生活です。

水道の水もタンクにかなり溜まった様で、水圧も普通の7~8割程度まで戻りました。

9月9日(4日目)

朝から資料館の片付けです。割れたガラスの量が半端ではありません。アイヌ語教室の関係者の方などにお手伝いいただきながら作業を進めました。石膏ボードが取れたり、いろいろと大変ですが、少しずつ直していくしかありません。

お昼頃に携帯回線が復旧しました。これでいつもと同じ生活水準に戻りました。

まとめ

電気が止まったのは38時間。水道40~48時間ほど、固定電話・インターネット62時間。携帯電話72時間程度。

それぞれ最初から分かっていれば待てる時間でしょうが、いつ復旧するかわからない状態では非常に長く感じました。そして日常生活がどれだけ便利なのか、どれほどインフラが発達していて依存しているのか、を実感しました。復旧のために昼夜なく働いてくださった作業員の方々にはとても感謝いたしております。

そして、非常事態に全く備えていなかったことを痛感いたしました。家具は固定したほうがいいです。ヤントの家具類は固定してあったので被害はほぼありませんでしたが、固定していなかった資料館などは大変なことになっています。皆さんの家の家具も固定しましょう。

水/電気がないときの生活の仕方など、急に直面すると戸惑いました。事前に少しでも想定していると心にゆとりが持てると思います。

天災はいつ起こるかわかりません。備えあれば憂いなしです。皆さんもご自分の状況を見直してみてください。

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