個人の仕事とコミュニティでの活動

イランカラプテ!キミです!

前回の投稿から3日も空いてしまいました。その理由は2018/2/28から3/1(木)にかけて二風谷でも大雪が降って現場(3/1木)が休みになった事。二風谷で不幸があり、お通夜とお葬式の手伝いがあった事。が重なり更新ができませんでした。また、工務店さんは二風谷の自治会長をしているので葬儀委員長の仕事があり、現場での作業(3/2金,3土)ができなくなってしまいました。

個人とコミュニティ

僕はいま自分のペースで仕事ができているのでコミュニティの活動などには参加しやすい立場です。しかし、地域の中には会社に勤めている人も大勢いて、仕事が休めず活動に参加できない人もいます。コミュニティ活動と個人の仕事は密接な関係にあると僕は考えています。

自分で仕事をしている人が多かった時代は、今回の葬儀のように突発的な出来事や、お祭りなどのイベントに参加できる人が多かったと思います。(数字での裏付けがあるわけではありませんが。。)自分で仕事をしていれば働く日を調整する事が容易です。勤めている人も不可能ではないでしょうが、前日の夜に「明日は地域での活動があるので仕事に行けません」とは言い辛いのが現実だと思います。それを表すかのように、二風谷小学校の運動会やお祭りなど、以前は日にちを固定していた行事を土曜や日曜に実施するように変化しています。

そして忘れてはいけないのが現代社会では生活するためにお金が必要不可欠だという事です。僕は実現したい物事があるときには絶対にお金の事も考えます。プロジェクトに関わる人や団体が、無償やそれに近い条件で動く事を前提とした計画はしません。多くの人(僕を含め)は日々の生活(金銭面や家事育児など)で精一杯だと感じていますし、本当に良い活動や結果を出すためには報酬が必要だと考えているからです。無償での活動には文句も言えないし、文句を言われる筋合いもないとも思います。

僕が理想とする、仕事と地域社会の在り方

アイヌの伝統的な生活では地域の人たちが集まり、数日にまたがる大きなお祭りを行う事があったようです。(実際に見聞きしたわけではないので何日間かまではわかりません。)これは日々の生活が精一杯な状態ではできないはずです。以前の記事にも書きましたが阿寒湖畔の山本多助エカシと僕の祖父萱野茂の対談でこのような会話がありました。

エカシと語るわがアイヌモシリ・北海道 放送:STV 1983年3月22日

~前略~

山本多助エカシ:釧路はね、昔の食糧事情は良いわけですよ。それで、いわゆるペカンベ、菱の実ですね。それに、その浜辺が近くて海藻類、昆布を主として、のり類なんかもずいぶんありまして。川へ行くと、お母さんが鍋掛けておいて「お父さん魚とっていらっしゃい。」という時代があったわけです。

~中略~

山本多助エカシ:これはユーカラの問題にもなりますけどね、男は趣味としてこの彫刻するから。それから、女性は針仕事。それで名作がありましたね。とても今どきの「俺は彫刻師だ」なんて威張ってらっしゃるけども、魂が入っていない。売れれば良いという観念だから。したがって、昔は時間にとらわれず、いつのいっかまで注文を受けたわけじゃないから丹念に彫っているものです。したがって、名工の作よりも素晴らしいものがあるんです。

~中略~

萱野茂:それでこの彫刻が、そういう風に、今おっしゃった様に、売るためにいつからいつまでという事でない所がいいんだ、という事ですね。それにはやっぱりいつからいつまで売る、期限切られていない、お金もいらないという事には、ちょっと弓と矢を持って山へ行けば、シカがたくさんいるから、シカ一頭とってこいば、家族多くても一週間や十日食える。だからそういう、その、彫刻をするゆとりの中では、食料が心配ないということが一番でしたね。

山本多助エカシ:まず、アイヌ文化で今、世界の三大叙事詩と言われるほどのユーカラ文学があるでしょう。これはその日その日の食生活の悪い(ずら?聞き取り不能)そういう心豊かなものは生まれてきませんよ。やはり、食生活が豊かで、したがって心豊かな人々が生まれるわけです。心豊かだから、彫刻であろうが、文化面であろうが、人情であろうが、よく自然の中で育っているわけです。

~後略~

ここで語られたように、日々の生活にゆとりがあるからこそ、口承文芸や彫刻などに割く時間が自然と生まれたと僕は思います。例えば、1週間に2日働けば生活していけるとしたら、人々は何の不安もなく心豊かに生活していけるのではないでしょうか。地域社会のメンバーがお互いに助け合い、お互いに楽しむためには、日々の生活にゆとりを持たせることが不可欠だと考えています。

近代化と社会生活

僕はエンジニアとして機械の設計をしていました。本来機械は人間の生活を豊かにするためにあるはずです。例えば、機械がなければ10人必要だった仕事が、機械を使えば1人で出来るとします。そうだとしたら、単純に今までの10分の1の仕事をすれば生活ができるはずです。(機械をペイする為のお金(仕事)が必要だとしても以前よりは余裕が出るはずです。)しかし現実は、1人が以前と同じ時間の仕事をして、他の9人は失業します。これでは何のために機械を作ったのかわかりません。豊かになるどころか9人の貧しい人を生んだことになります。

際限なく豊かな生活を求め発展を求める社会は、結果として大量の貧しい人を生みだしています。「足るを知り」心豊かな社会を求める事こそが、これからの社会が目指す方向ではないでしょうか。

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