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イランカラプテ!キミです!
メルボルンに戻って
妹の結婚式の為の一時帰国後、再びメルボルンに戻りました。あの汚い大学教授の家に戻るつもりはなかったので、次に住む家を探しました。今度はバスで通える範囲まで郊外に引っ越しました。引っ越すたびに中心部から離れ家賃はさらに安くなりました。そこは日本人が6人ぐらいでシェアしている一軒家でした。
オーストラリアの労基署に最低賃金以下で働かされていると相談に行くと、そんなところで働いちゃダメだよと言われ、未払い賃金を求める為オーナーにメールしました。なかなかすんなりいかず裁判一歩手前まで行きましたが、未払い賃金と年金(オーストラリアではアルバイトだとしても賃金とは別に雇用主は労働者に年金の積み立てをすることが義務になっています。)を払ってもらいました。その間仕事ができなかったので結果プラスだったかは何とも言えません。
未払いだった反則金を支払に行くと(もちろん期限内です。)、この請求は取り下げられているからこの用紙では支払えないと言われました。国際免許だった為か一度帰国したためか、住所が変わった為かはわかりませんが、警察に出頭して藪蛇になるのも嫌だったのでそのままにしておきました。
こんな生活をずるずる続けるのも嫌だったときに知人を介してシドニー在住の人を紹介してもらいました。連絡するとホームステイさせてあげると言ってくれました。アイヌに興味があるようでいくら支払えばいいかと聞くとお金はいらないから住ませてあげると言われました。
メルボルンからシドニーへ
さっそく高速バスでシドニーに向かいホームステイ生活が始まりました。ちょうどその頃二風谷のアイヌのグループがニュージーランドのマオリが実践しているマオリ語習得法テ・アタアランギを学びに行く計画があると聞き、僕も同行させてもらうことに決めました。ニュージーランドに行くまであと2カ月ほど、シドニーで滞在することに決めました。
仕事を探そうにも働ける期間が2カ月弱しかない事もあり仕事は見つからずフラフラしていました。ひと月ほどホームステイをしていると、ホストの方もいい加減出て行ってほしいといった感じになり、ゲストハウスに移り住むことにしました。
濃密なチリブルーでの滞在
シドニー中心部のゲストハウスを転々としながら最終的にはchili blue backpackersを生活の拠点にしました。色々な国から来た若者たちが毎晩飲んで騒ぐようなメチャクチャな宿でしたが宿泊費がとても安かったので住んでいました。最初の数日はなじめずにいましたが、毎晩やっていたビアポンに参加してから皆と仲良くなるようになりました。
チリブルーのビアポン(Beer Pong)はビールではなくオーストラリアの安ワイン(通称Goon)を使ったグーンポンでした。今まで一度もやったことがなかったビアポンですが、どういうわけか、かなり上手でヒーローのような扱いをうけました。それからは毎日グーンポンをして他の滞在者との交流を深めました。
このころにはワーホリでお金を貯めて世界一周をするという事もあきらめていて、当初の予定5年よりかなり早く二風谷に帰りゲストハウスをする事になるのは目に見えていました。英語も話せるようになったし楽しい思いも出来たので、あとはニュージーランドに行って日本に帰る事にしました。
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