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イランカラプテ!キミです!
オーストラリアでワーホリ
9か月のフィリピン留学を終えて、ワーキングホリデービザでオーストラリアに入国しました。ワーホリのビザはフィリピンに行く前に取得していたので2014年中に入国する必要がありました。ビザ申請はオンラインでできますが、日本国内から申請する必要があります。ワーホリビザは最初の入国から1年間有効です。条件を満たせば延長申請ができてさらに1年ワーホリを続けられます。
オーストラリアでのコネは全くなくどこに行ってもよかったのですが、広島のゲストハウスでたまたま会ったオーストラリア人がメルボルン出身で、良い所だと言っていたのでメルボルンに行くことにしました。
最初の数泊のみゲストハウスを予約して現地でシェアハウスを探すことにしました。フィリピン留学のおかげでかなり英語が上達していたのでコミュニケーションは問題なくとれました。市内ど真ん中のタワーマンションの一室がシェアハウスになっていて入居することに決めました。2DKの部屋にはすでに6人住んでおり、7人目の僕はダイニングをカーテンで仕切ってベッドがあるだけの何とも居心地の悪い場所でした。フィリピン出国前から蓄膿が発症していて体調が悪く、当面は治療をしながら仕事探しをすることにしました。
日本に帰った後はゲストハウスをすると決めていたので、宿泊業に関する仕事をしたいと思いホテルのフロント業務をターゲットに飛び込みで履歴書を渡しに行っていました。並行して無料の英語学校にも通っていました。
フィリピンの物価が日本の4分の1程度だったのに比べ、オーストラリアは日本の2倍ほどでした。その時の体感は8倍速でお金が無くなっていき、仕事が見つからない事で焦りが募っていきます。
スシショップでデリバリーのバイト
中心部は家賃が高いので路面電車で通える範囲の郊外で住む場所を探しました。大学教授の一軒家に数人が住んでいました。信じられないほど汚く散らかっていましたが背に腹は代えられません。仕事もなんでもいいから働ける場所を探すと日本人オーナーの寿司ショップで配達ドライバーを募集していました。
オーストラリアの最低賃金は16ドルぐらいだったはずですが、試用期間は10ドル、本採用後は15ドルと違法な賃金でしたが仕方なく働き始めました。働くならGPS付の携帯が必要と言われ、仕方なく初めてスマホを買いました。今まではiPod touchをwifiで使い、携帯はガラケーで済ませていました。そのiPod touchはフィリピンで紛失していたのである程度必要でもありました。
仕事はバイクで寿司をデリバリーする、日本でいえばピザ屋の配達みたいなものです。配達するとチップがもらえることがあり、それがすごく嬉しかったのを覚えています。ある日、配達先を確認するため信号待ち中に携帯を見ていると警察に止められました。運転中の携帯使用という事で切符を切られました。信号待ちしてて動いていないと抗議しても道路上ではダメだと取り合ってもらえませんでした。日本の感覚で5000円ぐらいだと思ったら数万円の反則金でとんでもなく驚きました。住所を教えろと言われたので、もうすぐ引っ越す予定だと伝え大学教授の家を教えました。
数日後反則金の支払用紙が届き、支払期限を見ると1ヶ月ほどありました。妹の結婚式のため一度日本に帰る必要があり期限内にまた帰ってくるのでそのままにして日本に一時帰国しました。
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