僕の半生~フィリピン留学

イランカラプテ!キミです!

僕の半生~二風谷に戻っての続きです。

フィリピン留学で英語習得

旅先で教えてもらったフィリピン留学ですが、ネットで調べてみると色々と出てくるものです。東京に居る時には留学エージェントに会ってどんな学校がおススメか聞いてみたりしました。セブ、マニラ近郊など当時の相場は食事、宿泊、授業すべて込みで4週間15万円ぐらいだったと思います。

二風谷に戻ってフィリピン留学の話をすると、父がフィリピンのバギオ市に知り合いがいるから相談してみるといいとCGN(コーディリエラ・グリーン・ネットワーク)の反町眞理子さんを紹介してくれました。眞理子さんからはハナさんというCGNのゲストハウスで当時スタッフをされていた女性を紹介され、バギオの英語学校の事などを教えてもらいました。バギオにも英語学校がたくさんあること、標高が高いのでセブやマニラと違い過ごしやすい気候である事。治安も都市部に比べてかなりいいことがわかりました。

留学先はバギオに決めて、英語習得は3カ月ぐらいとの想定で15万x3で45万をフィリピン留学の予算にしました。その後はオーストラリアでワーホリをしようと考えていました。

いつもの行き当たりばったりの方法で往復チケットを用意してフィリピンに向かいました。ビザは入国と同時に発給される1ヶ月分の観光ビザで、その後は現地で更新の予定です。なので片道チケットでは入国できません。復路のチケットを捨てる事をわかってのチケット購入でした。

カタコトの英語しか話せない僕はマニラに到着後バギオ行のバス停まで空港からタクシーで向かいました。かなりぼったくられ出鼻をくじかれました。到着が夜だったためバス停周辺の治安はかなり怪しく野良犬がウロウロしている上にスラムのような雰囲気に少し不安になりました。何とか購入したチケットは翌日昼頃出発の便で一晩明かさなくてはなりません。野宿なんて出来なさそうな雰囲気に怖気づきその日はホテルに泊まる事にしました。翌日エアコンが利きすぎの寒いバスでバギオに向かいます。バギオに到着してCGNのゲストハウスTALAに行きました。

到着翌日からハナさんやバギオ在住の日本人留学コーディネーターの方に学校を案内してもらい、体験授業などを受けて最終的にBEST2(ベスト)というフィリピン人のみで経営している英語学校に入学することにしました。ベストは設立してすぐだったので僕が生徒第一号でした。先生は4、5人でそれぞれが英語教師としての経験を積み、一緒に立ち上げた学校だった事にも興味を引かれました。フィリピンの英語学校は日本人や韓国人が経営している事が多く、フィリピン人の教師は経営者に安く使われていると感じていました。

先生は日本語が全く分からず、僕以外の生徒もいない状況。完全な英語イマージョンでの学習となりました。当時の僕の英語力は単語数1000語以下、文法は時制と進行形はわかるけど受身形、完了形はわからないような状態でした。言いたいことが伝えられず、言っている事も理解できないと、非常にストレスフルな授業となりました。それでも先生は丁寧にじっくりと教えてくれました。4週間が終わるころには英語で夢を見るようになっていました。

2ターム目(1ターム4週間で一区切り)には少しずつですが、英語で質問し英語で理解するという事が身についてきて、日本語を介さずに物事を理解するようになってきました。発音も少しずつ気を付けるようになっていきました。3ターム目が終わるころにはある程度のコミュニケーションがとれるようにはなっていたと思います。

3カ月が経ち予定通りであればオーストラリアに行く時期になっていました。しかし自分の英語力にまだまだ満足ができず、さらにフィリピン滞在を延長することにしました。想定では1ヶ月15万円でしたが実際には10万円程度でどうにかなっていた事もあり予算に余裕もありました。

最終的には滞在が2014年末までの9か月ほどで授業は8ターム、使ったお金は約100万円で次の目的地オーストラリアに行くことにしました。

次の記事⇒僕の半生~オーストラリアその1

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