イランカラプテ!キミです!
今回は夢の話をしたいと思います。もちろん寝ているときの夢ではなく将来の目標としての夢の話です。
僕だからこそ、あなただからこそできることをしませんか?
僕は機械設計士時代に親ほど年の離れた大先輩から「頭の中で(詳細まで)思い描けた時点でそのモノはほぼ出来上がっている。」や「見た目に安心感があれば(計算結果も経験上)問題ない:見た目三倍算」など含蓄のある言葉をいただきました。その大先輩は技術者からの叩き上げで取締役をされている方でした。僕の事をよく気にかけてくれていた頭の上がらない存在でした。
高専時代の僕にとって機械設計士は夢であり、夢を実現した僕は多少不満はあったにせよ非常に充実した生活を送っていました。詳細は⇒僕の半生~サラリーマン時代
その夢をなげうってでも地元二風谷に戻ったのは僕にしかできない事、僕だからこそできる事があるのではないかと思ったからでした。これは今まであまり言っていなかった事で、表面的にはゲストハウス創業を夢としていますが、これは大きな夢のための小さなステップです。
僕には非常に大きな夢があります。それは僕たちアイヌがこの150年200年で失ったモノ、奪われたモノを取り戻すという事です。具体的には言葉であり文化であり信仰であり、生活圏の伝統的な土地利用やサケを捕る権利であったりします。それも僕が生きている間に。
相手は日本国であり簡単にいかないのはわかりきっています。僕の祖父がアイヌとして初めての国会議員になっても変えられたのは少しの事でした。国を動かすのはそれだけ大変な事です。
今までも今現在もそれぞれのアイヌが色々なアプローチで権利回復や地位向上などを訴え続けていますが劇的な変化はない/なかったと言えるでしょう。
僕が考える方法はアイヌ(下)から国(上)を変えるという事です。
ここでいう上と下は権力側(法律や行政を司る力)と被支配者側(アイヌ)の関係性、法律を作りアイヌを支配下に置く事の表現で、国が偉いとかアイヌが劣っているという意味ではありません。
今までのアプローチの多くは個々人や小さな団体が国(上)を相手取り「上」にこちらの意見を認めさせ(裁判によって)、法律を変えさせ上から下に影響を及ぼす形でした。しかし、上が作る法律では骨抜きにされたり、的が外れる(あえて外す)事が容易に想像できます。
僕のアプローチは「下」から上が無視できないほどの事実を突きつけ上が本意ではなくても法律等変えざるを得ない状況を作り出すことです。僕は裁判などではなく学校という形でその状況を作り出そうと考えています。
明治以降の日本は、植民地主義を推し進め北海道や朝鮮半島を支配下に置きました。そこで彼らがとった方法が学校を作り日本語教育を義務化したことです。いわば日本の文化を押し付けるのに最も効率的な方法が学校であるという事です。
そのような方法で押し付けられた文化から脱し、私たちの文化を取り戻すにはやはり学校が最も効果的だと考えられます。僕の理想はハワイ先住民やマオリにならい、幼少期からアイヌの価値観、アイヌの言葉、アイヌの文化を基礎として現代の教育を行う学校を作る事です。
僕の家系を例にとると、僕の曽祖父は学校に通っていました。その親は学校に通っていない世代でした。曽祖父の両親はアイヌ語で生活しましたが、曽祖父はアイヌ語と日本語どちらも使え、自らの子には日本語のみで接しました。(学校教育でアイヌ語は価値の無いものと言われ、アイヌ語を使えば罰せられ、差別された経験から、そのような選択をせざるを得ない状況におかれた人たちはアイヌに限らず他の先住民にも多くみられる現象です。)祖父の兄弟はほぼ日本語で育ちアイヌ語での会話ができない人が大半です。祖父はあまり学校に行かず、祖母や地域の老人とのコミュニケーションによって母語としてアイヌ語を習得しましたが、その年代では非常に珍しいケースです。さらにその子(私の親)の世代になるとアイヌ語を母語として習得する人はほぼいなくなってしまいました。
幼少期から目的言語での学校教育を始めた後2、30年経つ(学校に通った世代が親になる)と、8~9割のネイティブスピーカーが生まれます(私の祖父の兄弟の様に)。さらに2,30年経つ(最初の世代が祖父母になる)とほぼすべての人がネイティブスピーカーになります(私の親の世代のように)。家庭、学校、社会生活で使う言語が異なれば、2か国語もしくは3か国語のネイティブスピーカーになります。現実にフィリピン北部のバギオにいた英語学校の先生達は家庭でそれぞれのトライブ(部族)の言葉、学校と社会生活で英語とフィリピノ語を使うことによって3ヵ国語でコミュニケーションがとれる状態でした。それは珍しい事ではないようですが、家庭でトライブの言葉が使われる機会が減り、英語とフィリピノ語の2か国語話者もいました。
これを現在の学校教育での英語と比較して考えてください。今の公立校の英語教育は戦時中に停止されていたことを考慮しても継続して70年ほど行われていることになります。そこから英語のネイティブスピーカー、もしくは、ネイティブと言わないまでも流暢なスピーカーがどの程度生まれたでしょうか?現在の学校教育にアイヌ語を取り込むことでは効果が限定的で僕が目指す未来には到底到達できそうにありません。
現在のアイヌ語学習者はアイヌ、非アイヌ合わせてもかなり少数(簡単な勉強を含めても千人に届かないでしょう)であり、流暢な話者は10人~20人程度だと思います。その中でアイヌの話者は半数にも及ばないかもしれません。(僕個人の実感であり根拠があるわけではありません。現実は全然違うかもしれません。)
この状況を脱する為に、生徒・児童、親、地域、教員にとって明確なメリットが存在する学校で、アイヌ語やアイヌ文化を習得することは地域社会に劇的な変化をもたらすと考えています。
人々は理想を語りがちですが、現実はシビアです。私たちの先祖が日本語習得を進めたのはそうしないと不利益を被るからです(もちろん強制された側面もあります)。そして今の人も同じことを考えるでしょう。この学校を出ることが公立校を出るよりも明らかに良い事があると信じられないと誰も入学しない・させないでしょう。
ゲストハウスの実現はついそこまできています。あと半年もせず始められるでしょう。ゲストハウスもこの大きな夢の実現のための小さなステップです。
「頭の中で描けたものは実現できる」の言葉を胸に、かならずや大きな夢を実現させます!