思春期とマイノリティ
イランカラプテ!キミです!
今回は前回の記事僕の生い立ち~小学生までの続きです。
二風谷でのびのびと育ち小学校を卒業した僕は唯一の同級生コウキと平取町立平取中学校に入学しました。当時の二風谷小学校は全校生徒30数人で1学年2人は当時でも少ない方でした。僕とコウキは親戚同士でどちらもアイヌですが全く違ったタイプです。コウキは腕っぷしが強く根性もあって人づきあいが良く友達がたくさんいるけど勉強が苦手なタイプ。僕は勉強はできるけど喧嘩が嫌い(弱い)、心も弱く少しイヤな事をされるとすぐにいじけるタイプでした。
当時の平中(びらちゅう:平取中学校)は二風谷、平取(本町、荷菜(にな)地区)、紫雲古津(しうんこつ)の3つの小学校から生徒が集まっていました。8割強が平取からの進学で、1学年40人程の小さな学校でした。
アイヌ文化が色濃く残るといわれる平取町ですが、アイヌに関する施設や事業のほとんどは二風谷地区が主体です。進学に伴いアイヌ文化に積極的に関わっている人が少数派になりました。
日本社会の風土と思春期特有の精神状態などから自分がアイヌである事、アイヌ語教室に通っている事などについて複雑な気持ちになっていました。平取町で萱野茂は有名なので、同級生は僕がアイヌである事は当然知っていたし隠そうと思ったとしても隠せることではありませんでしたが。
このような気持ちはおそらくどのような少数派にもある事だと思います。人種、宗教、生い立ちの違いや、LGBTの方など、それが本人の選択とは無関係、かつ生まれながらで、抗うことができない理由によってです。それぞれの違いを認めようとしない、画一的に皆同じであれとする日本社会で少数派は葛藤します。結果それぞれが自分なりの解決法を見出そうとします。
誰とでも積極的に仲良くなり敵を作らない人、暴力で抗おうとしてアウトローになってしまう人、人から離れコミュニケーションを拒み暗くなる人、仕事などに打ち込み成功して見返そうとする人などなど。
僕がとった方法は「適度な距離を保ちながら仲良くなる。アイヌの事には触れないし、触れてくれるな」という方法でした。本当に心の底からすべてをさらけ出せるほど僕は強くはありませんでした。
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