[:ja]イランカラプテ!キミです!
前の記事⇒ゲストハウス進捗42
リビングからドミトリー1への入り口キッチン 玄関ホールからリビングへの入り口 リビングからドミトリー2への入り口 ドミトリー内部左側ドミトリー内部右側軒天
数日前に建具(ドアなど)、床材、クロスのカタログを渡され本格的に内装を選び始めています。ドミトリーへの出入り口は片引き戸にするつもりでいたのですが、中折れドアという優れものを見つけたのでそれをつけてもらう事にしました。中折れドアはクローゼットや風呂の入り口でしか見たことがなかったので、居室に使える物があることに少し驚きました。ドアだと開くときにドア前に十分なスペースが必要なこと。片引き戸だと開いたときに戸を収めるスペースが必要で、その部分を壁として利用できない事が不便だと思っていました。開口部は少し狭くなりますが上記二つの問題が一気に解決できる商品に感動でした。
建物内は片引き戸を中折れドアにするために壁を作ってくれていました。外では軒天を取付けていました。
多少の変更であれば柔軟に対応してくれる大工さんに感謝です。そして建築確認が必要な建物(ホテルなどの特殊建築物であれば100㎡以上。ただし市街化調整区域などでは広さに関わらず必要)ではこのような事ができないので、プラン(図面)を完璧に固めてから工事をしなくてはいけません。建築確認では図面と建物が違うという事は許されないようです。
次の記事⇒ゲストハウス進捗44[:]
コメント
ヤフーのニュースで拝見して訪問させていただきました。
奈良県在住のものです。
以前、もう20年ほど前になりますが、高校の修学旅行でお祖父様の萱野茂先生にお会いする機会を得ました。
その時、恥ずかしながらアイヌといえば「北海道の先住民族」という教科書に記載されている内容のみの予備知識しかなく、ごくごく普通の高校生だった私はいちおう先生のご本は図書館で借り、だーっと一読したものの、正直「元議員さんのお話かー・・・どうせ入学式の来賓祝辞みたいなものだろう、眠くなるだろうな」程度の大変失礼な気持ちで講演に臨みました。おそらく、私以外の学生も同じような感じだったように思います。
しかし、実際その場に行って先生のお話を聞くにつけ、私以外の学生も皆、本当に「引き込まれるような」という言葉がぴったりな状況になりました。先生のお話は本当に面白いものでした。アイヌ文化、アイヌの言葉。どれだけご苦労されたか。
いろいろなお話を聞かせていただきました。その中でも一番感銘を受けたのが「チャランケ」のお話でした。アイヌの間では、揉め事は暴力で解決するのではなく、何日でも昼夜問わずひたすら話をし続けて解決するのだ、ということ。そして、その話が上手な人間がアイヌの中では尊敬を集めるのだということ。
多分、お祖父様からも聞かれたことがある話だと思いますが、私の中では本当に衝撃でした。
気に入らないと暴力に訴える人が世界中にいる。それの集まったものが戦争である。
この文化の進んだ現代社会でさえ、世界中の内戦、紛争、揉め事を全く解決できていない。もっといえば、世界を代表する大国全てが解決方法を知らない。だから、戦争は終わることがない。
しかし、アイヌだけは違った。アイヌだけが、世界中で唯一、血を流さない解決方法を持っていたということ。でも、そこを思い切り本州から来た和族が暴力を持って蹂躙した。
私は生粋の奈良県民ですし、ルーツを遡っても石川と宮崎と奈良なので、思い切り大和民族側の人間です。なので、その話をお聞きした時は本当に恥ずかしく、申し訳なくなりました。蛮族として蹂躙した大和民族のほうがよほど蛮族であった、アイヌのほうこそ足るを知り、平和を守れる尊敬されるべき民族だったと。そして、このアイヌの方法が世界中に広まれば本当に平和になるのだろうと確信しました。
そのことは私に大いに影響を与えました。
それから20年近くたち、私は母親として生きていますが、子供にもアイヌのやり方を伝えています。
これからゲストハウスを開業されるとのこと。ぜひ、チャランケのお話をゲストの方々に伝えていっていただければと思います。
私自身も18の時にネイルサロンを開業した経験があり、29歳で出産のため畳むまではずっと経営者として生きて来ました。なので、どれだけ自営業が大変か、また楽しいものかは熟知しております。遠い地からではありますが、応援させていただきたく思います。
寒い日々が続きますが、お風邪など召されないようお気をつけください。突然の長文投稿失礼しました。また機会があれば、ぜひゲストハウスもお伺いしたいと思います。
みこ様
コメントありがとうございます。修学旅行で二風谷に来る方の予備知識はそれほどないのが当然のことだと思います。約20年前の事を今でも覚えてくださっている事たいへんうれしく思います。おっしゃるように祖父の話はとても面白く、人を引き付ける力があったと思います。チャランケの話は著書や映像としても残っており、アイヌの精神の根幹の部分だと僕も思っております。ゲストハウスのお客様にも話をしたいと思います。今度このブログにチャランケの記事を書いてみようと思います。
アイヌにとって大和民族による支配以降の歴史はとても悲しいものです。しかし僕は過去にずっとこだわるよりも、現在そして未来をより良いものにするため、アイヌと和人との話し合い「チャランケ」によって友好な関係が築けていければと思っています。
機会があれば、ぜひ二風谷にいらしてください。資料館は当時と少し変わっていますが同じ建物で現在も営業しております。